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東芝のオフコンの歴史


1 最初のコンピュータ

東芝の最初コンピュータといえば、東京大学と共同開発した真空管式コンピュータのTAC(1954年納入)です。その後、1959年に全トランジスタ式のTOSBAC2100を完成させ、東芝最初の商用コンピュータとして神奈川県商工指導所に納入しました。 事務用コンピュータとしては、事務用中型機のTOSBAC4200(1960年)などがあります。

2 オフコンの先祖

オフコンの先祖は超小型機ですが、東芝の超小型機は1963年に発売されたTOSBAC1100が最初です。これは、既に半導体化されており、8語の磁気コア、12単位の紙テープをプログラムテープとして装備していました。

さらに1968年にはICを多数使用したTOSBAC1500を発表しました。これは本機のみでプログラムの入力作成(TOSBAC1100は別に用意した穿孔機で紙テープにプログラムを打ち込む必要あり)することができ、分類集計する機能を持っていました。 続いて1970年に本格的な基本ソフト(OS)と高級言語を持ち、入出力装置を同時並行動作できるTOSBAC1200、これは1971年に強化(TOSBAC1250)され、本格的ソフト体系を持ち、多数のプログラムをファンクションキーで選択して複数の業務を切り替えながら作業できるようになりました。

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1973年には、ハードウェアには2.5MBのミニディスクとカセット磁気テープを基本構成で装備し、独特の標準ソフトウェア「プレパック」を装備したTOSBAC1350とTOSBAC1150を発売しました。これらは3ジョブまで同時処理でき、マルチビリングも可能で、2400ビット/秒の通信機能を持っており、1年足らずで1000台以上も出荷されるベストセラーとなりました。この頃になると伝票発行機能の他にデータ集計機能、数々の応用プログラムがそろえられるなど、本格的な事務処理機能を持つようになり、実質的なオフコンといえます。

1976年からはTOSBAC システム15/35/55を順次発売、ベストセラーとなり、東芝は、三菱、NECに並ぶオフコン御三家となりました。特に1978年10月には他社に先がけ漢字対応を行ったTOSBAC漢字システム15を発表好評を博しました。

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東芝は汎用コンピュータの開発および販売を行っていましたが、売り上げが伸びず負担となっていました。そこで、汎用コンピュータ部門から撤退、その代わり売り上げが比較的好調で今後さらに伸びると予想されるオフコンに注力することにしました。

東芝のオフコンは、TOSBAC1250以降そのほとんどをJBCの兄弟会社である日響電機工業が製造していました。JBCは当時東芝のオフコンの売り上げの約4割(金額ベースでは5割以上とも言われる)を占める大ディーラーでした。東芝が汎用コンピュータから撤退した時、製造施設および開発部隊は残りました。このため日響電機工業に委託していたオフコン製造を自社生産に切り替えました。

オフコンの製造委託を打ち切られた日響電機工業は売り上げが激減、対策が必要となりました。そこで兄弟会社であるJBCは重大な決断を行いました。JBCはオフコンメーカーとして独立することにしたのです。1977年10月にJBCは自社ブランドのオフコン(日響電機工業製)を発売しました。東芝の最大のディーラーが独立したことにより、東芝のTOSBACブランドのオフコンの売り上げは半減しました。東芝はJBCの大きなオフコンパークを失うことになり、急速にシェアを落としオフコン御三家から脱落することになります。(後にJBCC(旧JBC)はIBMのディーラーとなり、日響電機工業がIBMの周辺装置を製造、IBMのオフコンのシェア急拡大の一因ともなります。)

東芝製のオフコンは、



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